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鹿沼の木工

鹿沼の木工
はじめに、鹿沼建具についての文章は、鹿沼建具商工組合の大先輩白石邦男さんの著書
「鹿沼の木材木工四百年史」より抜粋いたしました。
鹿沼の西には足尾山塊があり、北には日光連山が連なり、そこの澤に深い沢水を集めて、荒井川、大芦川、また鹿沼の東を黒川が日光から流れる。その昔、勝道上人が二荒山を信仰の山として難行の末日光山を開いて以来、源頼朝、徳川家康と日光山を信仰の対象としてきた。
澤は深く鬱蒼である。鹿沼の山々は南東が開けたところに位置して道が造られ、人が住みやすいところになったことであろう。
山林は日光領となって、木材の産出はこれら川の利用であった。
自然の立地を活かして、山林と川を利用しながら人々は生きてきたのである。
そして日光に東照宮が造営され、将軍から幕閣の人々、匠の集団など、国中から一般の人たちが通行したであろう。
ともあれ鹿沼は自然の地形と、日光山の霊地によってなりたって今日があるのである。
さらには江戸、東京に近い立地条件に恵まれ、木材木工の産地形成は自然なことであったと思われる。
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